政治信条

笑顔があふれるまちを創りたい

 

私の曾祖父(孝之助)は、25歳で戦死しました。松学寺(市内戸崎)の本堂前に眠っています。戦争によって貴重な命が数多く失われ、家も地域も苦しい時代が続きました。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の民主化政策と日本人の「いつかはアメリカを追い越してやりたい」思いから、我が国は戦後の焼野原から、諸先輩方の英知と努力で未曽有の復興を遂げました。高度経済成長時代は、正しく平和な社会の尊さを実感するとともに享受している時代だったということもできます。

バブル崩壊後低成長時代に入り、今は人口減少時代になりかつて経験のない社会に突入しています。
私は青年期に青年団の活動に出会いました。仲間と地区を回って行った盆踊りや1000人鑑賞に挑戦した「はだしのゲン」の上映会、ハンガリー民族舞踊団の民泊受け入れ事業(44人を2泊3日)など印象に残っています。実践活動を通じて、平和の尊さや国際交流を学びました。新治郡青年団協議会の活動で、IYY(国際青年年)の取り組みとして「社会教育を考えるつどい」を開催し、向上庵(土浦市小野) 三井住職にパネラーとして協力いただき、「無財の七布施」のお話を伺いました。

1 やさしいまなざしで人と接すること
2 にこやかな顔で接すること
3 やさしい言葉で接すること
4 自分の身体でできることを奉仕すること
5 他のために心を配ること
6 席や場所を人に譲ること
7 自分の家を提供すること

お金が無くとも、使わなくても奉仕の気持ちがあれば人に施すことができ、「相手に喜んでいただくと同時に、自分の心も高められる」というものでした。

時が過ぎ、下大津小学校PTAの活動で、南圓寺(市内加茂) 小林住職に子育てについて講演をいただきました。「ありがとう」と「おかげさま」 人は謙虚に生きること、ここでも「無財の七布施」に触れたうえで、「親が実践し子に後姿を示すことがよい子育てにつながるのではないか」という内容でした。
時代が変わろうと変わらない普遍的な人の生き方、奉仕の心、まっすぐ生きることを私は大事にしていきたいと思います。

私は、「政治は人づくりである」と信じています。